ゆっくり読む「ゲームの理論と経済行動」その1

この本の最終的な目標は経済学上の問題について、ゲーム理論という数学的枠組みを適用して、新しいモノの見方が出来るということを示すこと。つまり主題はあくまで経済学であり、そこでの問題を解決するために、ゲーム理論という数学を手段として用いるという流れだ。一つの問題を扱う、あるいは解決するために数学の理論を一つ新しく作ってしまうというのだから随分と壮大である。
それを納得するために、経済学上の問題と数学理論がどうやって関係してくるのか、そこをまず説明する。

まず最初に、経済学というモノが全く理論的には完成していないのだと言う。したがって、経済学に数学を適用するためには、まず非常に簡単な問題からスタートして、そこに厳密な数学的枠組みを当て嵌め、それから少しづつ複雑な問題へと進んでゆくことである。いきなり経済学上の「重大」問題へ挑んでも、徒労に終わるだけであると警告している。つまりこの本でこれから最初に扱われる問題というのは、直感的に非常に明快で、結論が感覚的にすぐ分かってしまうような、非常に限定された問題となる。

先へ進む前に、前提として、この本の中では、経済系のあらゆる参加者はたった一つの貨幣だけを用いていると考える。AさんもBさんも1万円の価値を信じている。一方で現実世界では、例えばBさんはお金よりも人からの尊敬の方に価値を置いているといった事がある。「尊敬」という物が貨幣で置き換えられるなら話は元に戻るが、そうでない場合、つまり「尊敬はお金で買えない」場合は、事情が複雑である。つまりそのような経済系では価値として「貨幣」と「尊敬」という尺度があって、貨幣を尊重する参加者も、尊敬を尊重する参加者もいるという事になる。ここではそういう経済系は考えない分けである。しかもAさんにとってもBさんにとっても1万円は同じ価値を、どんな時でも持つというのである。Aさんが貧乏であれば1万円は喉から手が出るほど欲しい、つまり「効用」を非常に満たしてくれる分けである(だから欲しい)が、Bさんが億万長者であれば、Bさんにとって1万円は大した額ではないから満たされる「効用」は小さい。などなど。経済系の参加者がユニバーサルな貨幣をただ一つだけ信じているという状態は、現実ではなかなかお目にかかれないわけである。

しかし、この本ではそういう貨幣概念の妥当性を問題にしているのではなく、もっと別の問題を考察の対象としたいと考えている。だからこれでOK。

ロビンソンクルーソー経済というのは、どんな経済系か。無人島に漂着したたった一人の生存者の経済系である。つまりクルーソーには自分に与えられた状況下で取れる選択肢がいくつもあるA,B,C,…で、それらの選択に対して、貨幣が得られる。例えば食糧を確保するために畑を耕すという選択肢、何もせずに寝るという選択肢。何もせずに寝るというのも非常に魅力的であり、疲れが取れるし、何も労働をしないのだから得ばかりに見える。しかし長期的に見れば、苦労して作った畑から食糧が得られるわけで、そうしなければ彼は島を駆けずり回って食糧を集める羽目になるわけだ。しかし畑だけを考えていればいいのではなく、住処に屋根を取り付けたり、飲み水を確保したりと、やることはたくさんある。これらの選択肢の中から優先順位をつけて、選択を行ってゆく。それらの選択の結果貨幣が得られる。彼としては、それを最大化したいわけであり、この「最大化」の原理にしたがって彼の選択が行われる。数学的に言えばある関数f(A,B,C,...)があって、クルーソーは関数fの値を最大化するような変数の組み(A,B,C,...)を探し出さなければならない。

つまりロビンソンクルーソー経済というのは、単なる関数の最大化問題であって、状況が複雑になれば関数fが複雑になり、適切な変数の組みを見つけるのが困難になるが、それは技術的な問題であって、この経済系の本質的な問題ではない。(もちろんクルーソーにとってはそこが一番大事なのであるが!)

次に、参加者が二人以上の場合を考えてみると、これが全く異なる様相を呈するというのが大事である。無人島にX,Y二人がいて、互いに資源を取り合う関係の場合、ここではもはや単に関数の最大化の問題ではなくなる。「俺がAするとXはBするだろう、だからそれを見越して俺はCする。しかしXは俺と同じに考えて、俺がCするのを見越してDするだろうから、Eすればいい。でもXはそれも分かっているから…」といった感じである。

この一人の場合と二人の場合の明らかな問題構造変化。ここがまさにこれから扱おうとしている問題なのである。

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