作画資料で絵を描く方向へ

最終的にはこの世界に存在しないものが描きたいから、そのためにどんな技術を習得するべきなのかを考えている。

まず最初はこの世界に存在するものを描く。これはいわゆるデッサンというもので、絵を描くことそのものについて慣れたり、基本的な「モノの見方」を養うことができる。こうして段々と技術が向上してくると、次にこの世界に存在しないものを描く方向へチェンジしたくなってくる。実際今そういう状態。

それでも、いきなり想像で絵を描くというのは非常にハードルが高いので、まずは自分が大まかにもっているイメージに対して、それを補完するような資料(作画資料?)を用意する。一つの資料だけではなく、複数の資料を継ぎ接ぎして元のイメージを補完することになる。

ただ、そういった資料があっても、それはイメージの完璧な具現化ではないから、ズレがどうしてもあって、そのズレを埋めるには想像力や、そのモノについての知識が必要になってくる。今描きたいのは人間であるから、特に人間についての知識が必要不可欠になってくる。

巷にそういう本は溢れているから使ってみる。

実際にそうやって絵を描いてみると分かることだけれど、想像の範疇では描き込める量が圧倒的に少ない。つまり情報量がかなり少ない。そういう絵はどうなるかというと、薄っぺらく見える。リアルに見えない。逆に言えば、絵に「リアルさ」、つまり質感をもたらすのは情報量、より具体的に言えば微妙なグラデーションの変化である。

この絵をよくよく観察すれば、単に「暗い」「明るい」と思っている領域が、如何に温度変化に富んでいるかが分かる。

陰影を付ける際に最も重要なこと、それは一言で言えば

「描くモノをよく見ること」

である。陰影は「形」と「濃度」の要素を持つが、そのどちらも重要である。単に「ここは暗いな」と思ってベタッと陰影をつけた時、全く質感も立体感も生み出さないのは、この2つの要素を無視しているからである。陰影はその物体の形状から離れて存在することはない。まず形状があって、それから陰影が存在する。したがって、陰影にはそのモノの形状に依存する形が明確に定められているのであって、それを逸脱すると、翻って描くモノの形状、三次元的な立体性を破壊してしまうことになる。陰影は単にボンヤリしたものではなく、明確にその形状を意識して描く必要がある。

陰影の形状は面の形状とも言える。

上の写真のように顔を面だけで構成すると、形状の把握はしやすいが、実際とはかけ離れることになる。本当の顔面は滑らかな曲面で構成されている。そこで濃度の問題が生じる。陰影にはその縁と内部に分けることが出来るが、そのそれぞれに適切な濃淡が存在する。滑らかな面であれば、縁の濃度は緩やかに変化する。急激な陥没であれば、陰影はそこではっきりと明暗が分かれる。また面だけで捉えているときは分からないが、一つの面の中でも濃度は複雑に変化している。それらを適切に表現できれば、絵にリアル感が出てくる。

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